院内助産所に対する法的見解
山口県 八木 謙
厚生労働省は平成二十年四月一日より補助金を交付し「院内助産所・助産師外来施設・設備整備事業」の推進を行なっている。院内助産所とは医師が常駐せず、助産師が自らの責任の下に正常な妊娠・分娩を扱う場所である。もちろん異常が起これば病院内にある産科医療施設へ患者を移動する事になっている。平成十四年十一月十四日と平成十六年九月十三日、厚生労働省は助産師のいない産科開業医施設での看護師の内診が保健師助産師看護師法(以下保助看法)違反という見解を示した。それを受けて警察は違反したとする産科開業医の検挙を行なった。その結果、助産師が雇用できない産科開業医は次々と分娩の取り扱いを止めていった。更に平成十九年三月三十日に同省は「看護師は医師又は助産師の指示監督の下診療又は助産の補助を担う」という見解を通知し、看護師と助産師の位置付けを行なった。続いて今回のこの事業である。医療費を可能な限り抑えようとするこの国の方向性が見て取れる。異常のない分娩は医療から切り離す。しかし抑えながら医療の質は落としたくない。ならば切り離しはしたが助産所を医療施設内に置く形式にすれば両方の利点を活かせる。
だが盲点はないだろうか。懸念されるのはこの助産行為が医療から切り離される為、医師の監視下に置かれなくなり分娩監視の法的責任が助産師の手に委ねられる事である。助産師に対する法的な医療管理体制はどうなるか。すでに大学病院でも院内助産所、助産師外来を取り入れているところもある。そうした大学病院を例にとって考えてみよう。教授の責任という立場から見てみる。
大学病院で教授が、
ⅰ 医局員に命じて行わせるのは医療である。
ⅱ 看護師に命じて行わせるのは医療の補助である。
ⅲ では助産師に命じて行わせる業はどの分類に入るか。
①助産師に行わせるのも医療である。
②助産師に行わせるのは医療の補助である。
③助産師に行わせるのは医療でもなく、医療の補助でもない。
①は法的に理論的説明がつけられない。医師免許がないものに医療行為を行わせることはできない。
②は可能である。”医療の補助”の枠を”医療行為”に近寄らせるとすることで解決できる。
③が問題である。医療でもなく、医療の補助でもないというものが存在するか。
存在する。保助看法下で行われる助産行為がそれに該当する。これは医療ではない。
だが、”③医療でもなく、医療の補助でもない業務”となるとそれを教授が命ずるという事自体に法的矛盾が起こる。正にその場所が院内助産所である。例えそれが病院内で行なわれたとしてもそれは教授の管轄外だ。一般病院でも同じ事が言えるだろう。
助産所では、「先生、これは正常分娩ですから、医師は口を出さないで下さい。助産師の責任下で行います」と言う事が罷り通る。困ったことにこれは法的に正当な主張なのである。
カエサルのものはカエサルに返せという聖書の言葉どおり、この業は助産師に返すか。世間が望むならそれも良い。だが病院内でのお産を完全に医療と切り離すことが可能であろうか。血管確保1つにしてもそれは医療である。超音波診断もしかり。残る解決方法は、①助産師に行わせるのも医療である、とする法の拡大解釈である。法を現実社会に適合できるよう柔軟に解釈することもときには必要であろう。だが平成十四年、平成十六、産科開業医が看護師相手に行なってきた産科医療が違法だと、法を厳格に適用し産科開業医を弾圧してきたのは厚生労働省の方である。その厚生労働省が今度は法を拡大解釈しようとする。話を進める前に産科開業医が犯したとする保助看法違反をもう一度検証してみる。
まず法を見る。
Ⅰ、医師法第十七条 医師でなければ、医業をなしてはならない。
Ⅱ、保健師助産師看護師法第三条 この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じょく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。
第五条 この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。
第六条 この法律において「准看護師」とは、都道府県知事の免許を受けて、医師、歯科医師または看護師の指示を受けて、前条に規定することを行うことを業とする者をいう。
第三十条 助産師でない者は、第三条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
第三十一条 看護師でない者は、第五条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法又は歯科医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
二、保健師及び助産師は、前項の規定にかかわらず、第五条に規定する業を行うことができる。
第三十二条 准看護師でない者は、第六条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法又は歯科医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
三条と三十条は対になって助産師の業を規定している。五条と三十一条は看護師のそれを、六条と三十二条は准看護師のそれを表すものである。更に三十一条においては助産師に看護師の業を為すことが出来ると定めている。
これから得られる各業種の業務分担は、看護師は自らの判断で行う看護と医師の指示の基で行う医療の補助を行う事ができる。准看護師は看護と医療の補助を行うことができるが、看護については自らの判断で行うものではない。助産師は助産と看護と医療の補助を行う事ができる、となる。
医師は医師法下で助産(正常分娩も)を扱う。助産師は保助看法下で助産を扱う。両者の立脚する法律が異なる。医師法に縛られない、医療として扱われない助産行為が法的に存在する。同様に保助看法に縛られない、医療として扱われる助産も存在する。医療として扱われた助産に保助看法は介入出来ない。それは医療として扱われなかった助産に医師法が介入しないのと同様である。(日本医事新報平成十八年十月十四日号「看護師の内診は違法か」より引用)
よって医療機関内、医師法下で行われた助産に対しこの保助看法違反は成立しない。またこの法構図を見る限り平成十九年三月三十日の厚生労働省通知「看護師は助産師の指示監督の下に助産の補助を担う」という法解釈が間違いであることが分かる。看護師の業務に保助看法下の助産の補助はない。あるのは医療の補助である。
厚生労働省が平成十四年、十六年と渡って通知を出し、産科開業医から分娩を取り上げる法的意義は無かったのである。
さて今回のこの院内助産所は医師法の通じない場所であるから、ここでの業務に医師は介入できない。助産師の判断がここでの最高意志決定となる。従来の医療の観点から見れば異例の抜擢である。薬剤師が薬を出すには医師の処方箋が要る。放射線技師も医師の指示の下でなければ患者の体に放射線を当てることが出来ない。検査室も同様である。これらすべて法で定まっている。従来の産科医療機関であれば助産師も医師の指示の下で動かなければならなかった。だが今回のこの院内助産所ではこのヒエラルキーが断ち切れる。また患者を院内助産所から病院側に移動する判断も助産師に任せることになる。つまりこの施設においては帝王切開の決定をするのが医師ではなく助産師という事になるのである。
このままこの院内助産所が進化すれば将来次のような助産施設も生まれてくるだろう。それは助産院内産婦人科とでも言おうか。つまりカリスマ助産師の経営する助産所で多数の助産師が働く。その一角に産婦人科医療機関が置かれる。医師はそのカリスマ助産師に雇われた者である。助産師より帝王切開の指示が出れば医師はそれを行なう。ここでは始めから分かっている異常分娩は扱わない。それは総合病院に行ってくれ。ここは健康な妊婦さんがお産をする場所ですと嘯いていればいい。ここでは助産師が扱う正常分娩部門と産婦人科医が扱う帝王切開部門では圧倒的に正常分娩部門の量の方が多い。市場原理主義社会の世の中では多く稼いでいる方の発言力が増すのは当然となる。
庶民には受けるだろう。”健康な妊婦がお産する場所”というキャッチフレーズは妊産婦の耳には心地よく、これがテレビに流れれば民衆は飛び付く。マスコミは怪物を生み出すものである。こうした怪物の台頭を許してはならない。だが院内助産所を国が推進している以上、法的にこうした助産所も認めざるを得なくなる。
産婦人科医不足を院内助産所という姑息的手段で解決しようとすると必ず弊害が起こるであろう。現行法での助産師の業務規定は助産師が医療機関内で業務を行うことを想定していない。想定しているのは医師がいない場所で、医療とは別枠で扱う助産なのである。医療機関内で働く場合には薬剤師や放射線技師と同様に”助産師は医師の指示の下で助産を扱う”といった成文が本来ならなくてはならなかった。
我々が求めている助産師とは産科医療の助手を務める*者である。産科医の下で常に技術を修練し産科医療の助けをしてくれる優秀な人材である。医師のいない場所でお産を扱える法的資格は有っても無くてもそれは大した意味を持たない。助産師が名称独占であり、その呼び名が使えなければ、”産科医療助手認定看護師”とでも言えばいい。それは産婦人科学会又は医会あるいは周産期・新生児学会が教育しその認定をすればいいのである。
妊婦検診は助産師外来でなくとも看護師外来であっていい。この認定看護師が超音波等医療検査機械を扱い検診を行なう。患者の希望があれば三十分でも相談に乗って上げればいいのだ。検診の最後に医師がそのデーターに目を通しサインをすればそれで法的にも医学的にも問題はない。こうした優秀な認定看護師の育成に力を注ぐべきなのである。
産科病棟の長は看護大学卒で、NICUや手術室勤務も経験してきた優秀な認定看護師をその師長とし、廻りのコメディカルスタッフを束ねるようにする。それでここは医師を頂点とするピラミッド型の指揮系統に統一される。
この体制は先般、厚生労働省が潰しにかかった産科開業医の形式である。意味のない法解釈によってもたらされた不幸を真摯に受け止め、この国の産科医療形態の構築を図っていかなくてはならない。
忘れてならないのは「医師以外の者に一部の医療を行わせる事によって得られるメリットは医師以外の者の医療行為を禁じた事によってもたらせる福音を上回るものではない」という事実である。