パル判事
山口県 八木 謙 48回生
―日本の若い女性に―
新しい環境に順応するには、社会は新しい生命力を必要とします。そのために社会が最も期待をかけるのは、若い人たちの中でも女性、つまりあなた方です。現在のあなた方は、知的にも道徳的にも最も感受性に富み、最も受容力の大きい時期にあります。学校教育から、本物とにせ物を見分ける能力、お国の将来を形成していく力についての知識を得てください。―中略― 皆さんひとり残らず、どんなことに出会っても、勇気とやさしさと美しい魂とで、処理してください。世界を歩む美女は何万といるが、どんな飾り付けて見せても、貴方の完全な美しさとは比べものにならないと、尊敬の念をもって言われるように行動されることを願っています。
これは昭和41年パル判事が来日した際に残した日本の若い女性へのメッセージである。昭和23年、東京裁判で選出された11人の判事のうち10人の判事が被告有罪という判決を示す中ただ一人パル判事は日本人全員無罪判決を出した。その判決文はやや難解ではあるが理論的で緻密な分析が為されており現在読んでも充分に通じる代物である。1648年宗教戦争が終わったときのウエストファーリア条約、その後のケロッグ=ブリアン条約いわゆるパリ条約についての卓越した見識、また事後法は用いてはならないとする確固たる姿勢は今現在においても通ずるものである。そして勝者が敗者を裁くこの東京裁判こそ犯罪であるとする理論展開には驚愕するのである。他の判事達の判決理論は勝者への迎合であり欧米側にへつらって自説として述べているにすぎない。今となっては誰も支持するものはいない。その中パルの論理は70年100年経って輝きを増す。真理を突いているからである。
それはさておきこの上記文章に出あったとき衝撃を受けた。産婦人科医として学校から性教育を依頼され、ただ避妊・STDの予防だけを教えるだけの自分の言動に疑問を感じたのである。学校側も医師にそれを要求する。性教育の専門科と称する人達は「今はもう初体験は中学生ですからね。中学校低学年でこれらを教えなればいけません」などと賢しら顔をする。世の中そうなっているのだからそれに合わせろというのである。個人主義の風潮がはびこり、誰にも迷惑をかけずに個人々々が性を楽しむのだからいいのだと考える。医師はそこでの弊害を抑える為に協力するのが努めなのだと見なされている。だが本当はパルの言葉のように母体の神聖さこの国におけるその重要さを子供達に教えてやらなくてはならないだろう。一番それが分かるのは産婦人科医ではないかと思う。性教育とは人間教育である。65年前に戻って教育勅語からやり直せ。
さて視点を現在の我々の仕事に移してみる。ここでも個人主義の弊害の波が押し寄せている。今どれほど多くの医師が裁判で被告の側に座らされているか。彼らは罪人ではない。医療が患者の要求通り行かなかったからと言って敗戦の罪を負わせられているのだ。何でも欧米化して訴訟ばかり不毛な議論ばかりしている国にしてしまった。学会もそれに追従し、個人の幸福の追求が先決で社会全体の大益は二の次だとの風潮に押し流される。世に阿(おもね)いて学を曲げている曲学阿世の徒になり下っているのだ。裁判での被告医師に他のどれだけの大学が有罪という判定を下したとしても当教室は無罪と思うという結論を出したなら口をつむいでいてはならない。ここでは実際の判決の如何よりも医師の誇りを保つ事が大切なのだ。我が教室には「結果は問わない。考え方が合っていればよい」という伝統があった。結果はどうでもいいというのではない。結果を出す事が大切なのは百も承知である。しかし結果ばかりに惑わされて真理を見逃してはならないという姿勢なのである。産科学は医学の中で最も多くの不確実性を含む学門であろう。その中で現時点での動向に惑わされず真理を追求しようとする姿勢を保つ事が将来の真の結果を産む。パルのように孤高であれ。70年100年後の評価を得るのは頑固に伝統を守る我が教室である。