アウトロー

八木 謙

 質問1:アメリカで人工妊娠中絶が禁止されている州はどこですか。回答:禁止している州はありません。(1973年アメリカ最高裁判所は、子どもを産むか産まないかの問題は女性のプライバシー権に属するとして、州が人工妊娠中絶を法的に規制することは憲法違反であるとの判決を下した)
 質問2:日本で人工妊娠中絶が禁止されている県はどこですか。回答:すべての都道府県で禁止されています。刑法上の堕胎罪が適用される。ただ、母体保護法という特殊な法が満たされる場合に限ってこれが合法となることになっている。
 そして不思議な事に、日本では人工妊娠中絶の是非が選挙の争点とならない。アメリカではいまだ政権を争う中でこの問題が取り上げられている。オバマは中絶容認派だとか否だとか。
これは日本人の法意識の違いと言える。日本人が遅れているとか倫理感が薄いとかという事ではなく考え方が異なるのである。日本では2重規範が取り入れられているのだ。「日本人の法意識」川島武宜著1967岩波新書
 キリスト教のような経典宗教である一神教は神との契約が絶対である。その縦の考え方が人間間の横の契約、紙に書いてある法が絶対という考え方に繋がる。ところが日本には捨てる神もあれば救ってくれる神もあるという考え方がある。建前と本音の違いあるいは理想と現実の違いと言おうか。それは法意識の違いなのである。
母体保護法指定医指定権は現在は都道府県医師会会長がその指定権を持っている。これは昭和23年、日本が占領下の時代にGHQがこのようにした。こう断定すれば反論が起きる。しかし日本がGHQに阿いてそう決めたのであろうから同じことだ。母体保護法の前身は優生保護法と言った。優性を保護する、言い換えれば劣勢は排除するという考え方である。この法を日本政府に任せるのは危ないと考えたのであろう。これは医師の集まりである医師会がいいだろうと考えた。これがいまだ存続している。
現在、医療に関する各種資格は厚生労働大臣から交付されている。医師の資格、看護師の資格、臨床放射線技師の資格等々。ただ母体保護法指定医資格だけは特殊でこれは民間団体である都道府県医師会長からの交付である。このような指定の例は他にない。母体保護法指定医資格も厚生労働大臣から交付されるべきだと厚生労働省が考えるのは当然だろう。
この指定権は母体保護法の中に規定されている。その指定権に関する法の文言だが平成20年までは以下のようなものであった。
「都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師は、~」という文面であった。平成20年にこの「社団法人たる」という文言が「公益社団法人たる」に書き改められた。新公益法人法制度は平成20年発足から暫定5年の平成25年から効力を発する。これを見越しての法改正であった。公益社団法人になれない都道府県医師会には指定医指定権を与えないとした。法を元通りにする事は許さないともした。ところがこれは厚生労働省の思惑通りには行かなかった。平成25年になって特例処置が取られたのである。公益社団法人でない都道府県医師会にも指定医医師指定権を与える。一般社団法人であっても「特定法人」としてこれを許すとしたのである。ただし公益法人にならない都道府県医師会は厚生労働大臣が必要と認めたとき報告を求め、又は助言若しくは勧告をすることができるという法文が付け加えられた。暫定的に厚生労働大臣の関与を残した形である。厚生労働省はこれで指定権収得を諦めた訳でなく、次々と手を打って来ている。この5月の日医ニュースにも載ったが郡市医師会に加入していることを指定権申請の条件とすることを禁止。指定・更新の為の研修会の形式は地域の裁量に任されていたものが、その他に特定のカリキュラム(生命倫理、母体保護法の趣旨と適正な運用、医療安全・救急処置)を加えなくてはならないとした。このカリキュラムは厚生労働省が作ったものではないという反論もあるだろう。しかし厚生労働省に阿いて作ったものであろうから同じことだ。今回この要求を乗り越えられても厚生労働省が指定権を欲しいなら更に次の手を考え出してくるであろう。
だが、この指定権が県医師会から取り上げられ厚生労働省に行ってはまずいのだ。
何故なら法に欠陥があるからである。説明しよう。
指定医本人に対する認可、施設に対する認可、これは厚生労働省が行なっても問題ない。問題は手術の適用である。これを法どおりにやりなさいと言われたらどうしようもなくなる。本来ならこの法はこういう文面でなくてはならない。「中絶手術はこれを行ってはならない。ただし指定医が認めた場合はその限りではない」こうなっていればいい。こう明確に指定医の裁量権を認めているのなら別に厚生労働省が管理しても問題ない。
 しかし、実際の母体保護法の文面は
1.妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
2.暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの、となっている。
つまり強姦以外は”母体の健康を著しく害するおそれのあるもの”でなくてはならない。経済的理由にしてもその困窮度が酷く妊娠の継続が健康を著しく害するおそれのあるものでなくてはならない。現在の日本の妊婦にそのような状況が起こる事態はまずあり得ない。つまりは医学的適用外の中絶は認めないという事なのである。
 だが現状では健康な妊婦の正常な妊娠もこの手術が行なわれている。これを法的にどう説明するか。”望まない妊娠を継続することが妊婦の精神身体に悪影響を与える”これが”母体の健康を著しく害する”とかなりの拡大解釈をしてこの違法性を免れている。胎児条項による中絶を容認するのもこの考え方が適用されている。しかしこんな言い訳が公の裁判の場で通用するとは思えない。違法中絶と言われたらそれまでだ。ここにこの法の欠陥がある。母体の生命を助ける為の中絶ならこれは緊急避難であり、指定医である必要はない。真に医学的適用のあるものなら保険適用であろう。
これは産婦人科医である母体保護法認定委員会が産婦人科医の会員に対し「中絶の適用は厳密に守って下さいね」と言っているから成立している。阿吽の呼吸である。認定委員会と指定医はこの法の欠陥を補う関係なのである。
この法の管理者が厚生労働省に行くと、具体的にはその地の保険所長になると思われるがが、彼に「厳密に法を施行せよ」と言われると現時点で我々の行なっているほとんどの症例が違法中絶と解される。
ここに法の矛盾があるわけだが、矛盾した法を公の機関が管理するわけにはいかない。この法の矛盾を解消する為には法の枠外でこの業を行うしかない。アウトローである。母体保護法認定委員自身もアウトローなのである。アウトローの人間のアウトローの仕事をアウトローの人間が管理している形である。かく言う私も認定委員であり、そしてそこにはアウトローとしての規範がある、アウトローとしてのプライドがある。このギルド(同業者組合)の中でその中での不文律の掟を守り続けている。法外の法、理外の理を以ってこれを処理しているのである。法の不備があるからこそセミ・オートノマス(semi-autonomous 半自律的)なプロ集団を作り上げたのだと言えよう。
 いまこの状態で上手くバランスが取れている。レッセフェールの状態にある。これに手を加えてはいけないのだ。
レッセフェール(laissez-faire)とは、フランス語で「なすに任せよ」の意味。経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。アダムスミスの言う神の見えざる手が働いていると言う事だ。経済は自由経済に任せて置くのがうまくいく。しかし自由放任でうまく行かなくなったとき、インフレが進み失業者が続出して来るような場合のみ国が介入するのである。今うまく回っているものには手を加えてはならない。自由経済でうまく回っているところへ余計な手を加えて大不況をもたらした最近の例としては平成2年3月大蔵官僚から銀行へ出された通達、通称「総量規制」がある。これが平成の不況をもたらせた事は明らかであるがそれに責任を取った官僚はいない。
 厚生労働省にこの指定権の管理が任されそれがうまく機能する為には現行法のままでは不可能である。社会的適用による中絶を可とする法の改正が必要となる。そうすればうまく行くであろう。更に踏み込めば堕胎罪そのものを廃止するのがいいかもしれない。どうせ死文化している法なのである。姦通罪を廃止したように堕胎罪も廃止してしまえ。こうした性愛に関する問題は法で割り切れるものではないのだろう。中絶に違法性がないとなれば我々にとっても好都合である。そうだ、なくしてしまえ。一気にここまで持っていくのだ。指定権は厚生労働省に行き、この資格は国家資格となる。いいことずくめであろう。
 ちょっと待った。堕胎罪をなくし、それですべて解決であろうか。今、海外では経口剤で子宮収縮を起こす薬がある(膣座薬は国内にもある)。こうした薬剤がネット販売で流入してくる可能性がある。利尿作用のある錠剤、緩下作用のある錠剤と同様に子宮収縮作用のある錠剤としてネット業者が取り扱う。日本はこれを薬剤とは認めていない。という事は薬事法違反では取り締まれない。医師法違反にもならない。今こうした薬が搬入されて来ないのは日本に堕胎罪がある為である。これは刑法なのだ。実刑をくらう。ゆえに業者はうかつに手を出せない。堕胎罪をなくせばこうした薬剤の流入は避けられない。自宅で使う婦人が出るだろう。完全流産なら問題はない。大半はそうなるだろう。組織が子宮内に残り大量の出血が起こればその時は救急車で産婦人科に行けばいい。という考え方になる。お産で夜中に起こされるのはいいとしてこんな事で度々起こされるのはたまらない。子宮収縮剤ネット販売に対しては新たな法を設置すればいいと思うだろう。しかし一度流通し、それに慣れた人々を中々取り締まれないのは麻薬覚醒剤販売を見てもわかる。今の堕胎罪は意味のない法ではない。こうした薬剤流入の防波堤の役を果たしている。
法を書き換えて自由にこの手術が行われるようになるのはよくないのだ。現状のままがいいのである。この手術を受ける者もこの手術を行う者も、これは違法な事をしているのではないかという後ろめたさを感じる。この後ろめたさがこの手術の抑止力になっている。「女性には中絶を受ける権利がある」と声高々に主張するような風潮は抑えるべきだ。この国では堕胎は法で禁じられているという事が建前になっている必要がある。この法の欠陥が日本という土壌でうまく機能しているといえる。
独占禁止法について考えてみる。これまで、指定医申請の要件とされていた「郡市医師会長の意見書」の添付が独占禁止法に触れるとして廃止された。郡市医師会に加入していなくてもいいという事になったのである。しかし、郡市医師会に加入していなければ県医師会には入れない。日本医師会にも入れない。という事は県医師会長は県医師会員でないものに県医師会長名でこの指定を発行する事になる。はたして県医師会長に自分の圏域以外の者にその指定を発行する権限があるのだろうか。これを発行しない事が独占禁止法違反だというが、会員になってこそその会の特権が得られる事が独占禁止法違反になるだろうか。医師会へ入会させないと言うのならそうかもしれないが、そうでないなら独占禁止法違反とは言えない。市が提供する住民サービスを受けたければ住民登録して下さいと言うのと同じなのだ。今回の梃入れは我々のギルドを崩そうとする一手段にすぎない。
厚生労働省の最終目的が指定権を厚生労働省に持って行く事にあるのであれば更に第2第3の矢が放たれる事は間違いない。我々はそれに耐え切れないだろう。団結の弱い県から崩される。1つ崩れればそれは燎原の火のごとく全国におよぶ。厚生労働省は自分達が扱いやすいように法を改定して行くかもしれない。そのとき何が起こるか。この領域の医療崩壊が起こる。婦人のモラル崩壊が起こる。医師のプライドの喪失が起こる。プライドを失った医師はこの業から手を引く。真摯な医師ほど先に止めて行くであろう。そのような医師を失ったこの医療界は更に荒廃する。こうした負のスパイラルは大恐慌に陥っていく経済構造そのままである。この現実はもうに目の前まで押し寄せている。

狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)に廻らす者は誰ぞ!