『玖珂医師会100周年記念号に掲載』
玖珂 八木 謙
玖珂郡医師会100周年記念なら父と母のことを書かねばならないだろう。
私は現在70歳である。私が5歳のとき、両親はここ玖珂の地で開業した。65年前のことである(ということは玖珂郡医師会創立35年目)。父は外科・産婦人科を標榜し、母は内科・小児科を標榜していた。父は医専を卒業すると同時に戦地に行き、そして終戦になり帰還した。臨床研修の為、宇部の県立病院に入った。そのころ母は女子医専を卒業し、同病院に臨床研修に来た。そこで父と母は知り合い結婚した。父は戦地では負傷兵の腕や足を切り落とすのが仕事だったのだろう。私が小学生のころ高森天神に毎年木下サーカスがやってきた。ある年、よっぱらった男がトラの檻に手を突っ込みトラのヒゲを引っ張った。トラはその手に噛み付き腕を檻の中に引き込んだ。もう1匹のトラがその腕を喰った。男はうちに運ばれてきた。そして肘から切断。父はこういうのが得意だったのだ。畳の部屋の長屋のような病室に入っていた。長屋の南側は長い廊下だった。「病室に行っちゃいけんど」と言われていたけど、怖いもの見たさだ。片腕の男が廊下の柱を背にして座り陽だまりでタバコをふかしている傍に遊びに行ってた。丹下左膳や森の石松なんかがヒーローだった。父がいないとき診察室の引き出しから切断された腕の白黒写真を引っ張り出して鑑賞していた。テレビもなかったから衝撃映像だった。
父は大酒飲みで酒乱だった。よく母のことを殴っていた。酔っぱらってオートバイに乗って帰ってきた。このオートバイの音が恐怖だった。外でもよく喧嘩をしていた。「お茶の香りの東海道、遠州森の石松はしらふのときは良いけれど、お酒のんだら乱暴者よ~」これを地で行ってたな。だから「僕は大きくなったら絶対お酒は飲まないぞ。笹の露ほども飲まない」と子供心に固く心に誓った。
母は優しかった。病気になるとアイスクリームを買って来てくれた。中学生のころ、「僕は将来、物理学者になって宇宙へロケットを飛ばすんだ」と言ったら、「あんたは勉強ができないんだから、そんな大それたこと考えずに医者にでもなっときなさい」と言われて、妙に納得した。本当に勉強ができなかったのだ。父は「医者になれ」なんて一度も言ったことは無かったけど、通信簿をもらって帰る度に怒られた。3がほとんど4がパラパラ5なんて皆無だった。
ある日、父が「ピタゴラスの定理の証明を教えてやろう。紙と鉛筆と定規を持って来い」と言って酒を飲んでる卓袱台の上で幾何を使ってその証明をして見せた。美しい証明であった。ピタゴラスの定理は「直角三角形の直角をはさむ2辺の平方の和は他の1辺の平方の和に等しい」というものである。大きい正方形の1角から小さい正方形の1角まで補助線を引き証明して行く。
それから40年、オズの魔法使いの映画・演劇を見た。ドロシーの友達で脳味噌が空っぽのかかしが出てくる。かかしは奮発して勉学に励み、とうとう市長から博士号が与えられた。博士号を取った瞬間、かかしの頭にある定理が浮かんだ。それはは「2等辺3角形の2つの辺の平方根の和は他1辺の平方根に等しい」というものである。ではこのかかしの定理を検証してみよう。
2等辺三角形はその三角形の3つの辺のうち2つは長さが等しいということだから長さaの辺が2つあり、長さbという辺が1つある。
かかしの定理を数式で表せば、
①√a+√a=√bあるいは
②√a+√b=√aとなる。
かかしの定理①の証明
√a+√a=√bの両辺を2乗すれば
(√a+√a)^2=(√b)^2
(√a)^2+2*(√a)*(√a)+(√a)^2=(√b)^2
a+2a+a=b
4a=bとなる。
辺aの4倍がbに等しいということはこの三角形は横にぺちゃんこなりこれは三角形になり得ない。
ではかかしの定理②の証明
√a+√b=√a
両辺から√aを引くと√b=0 両辺を2乗して b=0
底辺bが0なら 縦の線1本となり三角形になり得ない。
かかしの定理①、②とも成り立たない。
私が15~6才だったか、母が「むじゅん」という字を「無・・」と書こうとした。「バカ」と父が言った。「むじゅん」は「矛盾」と書くのだ。矛は矛(ほこ)で、盾は盾(たて)だ。これは韓非子にでてくる話だ。ある商人が武器を売りに来た。「この矛はどんな盾でも貫くことができる」そして次に盾を出し「この盾はどんな矛でも貫くことはできない」と商人は言った。ではその矛でその盾を突いたらどうなると訊ねた。商人は答えられなかった。この古事からこの字ができた。といううんちくを聞かせた。(よくこんな事知ってるな。自分は矛盾だらけの人生を送っているくせに)
それから50年、とんでもない文章に出会った。それは「韓非子の矛盾はアリストテレスの矛盾と矛盾する(小室直樹)」という文章である。形式論理学上、含蓄ある文章なのだがその説明はここでは省く。
父は酒癖も悪かったのだが、女癖も悪かった。あっちこっちに女を作っていた。ある日、母は出て行った。父は別の女を家に入れた。みんなが「2号、2号」と言ってたので私も「おーい2号、おーい2号」と呼んでいた。「坊ちゃんにあんなふうに言われては、私はここに居られません」と言って出て行ってしまった。親戚の伯父さんに「お前があんなこというから、あの人出て行っちゃたじゃないか」と言われた。「おかあさん」とでも呼んで欲しかったのかな。子供にそんな配慮が出来る訳ないじゃないか。その伯父さん、家出した母のところへ行って説得して連れ帰って来た。こんな事が何度も繰り返された。父は母に謝ったことなど1度も無い。こんな父を見て育ったから「ぼくは大人になって結婚したら妻以外の女性には絶対に決して手を出さないぞ」と固く心に誓ったのであった。