玖珂医師会 八木 謙
ユーイング肉腫で余命半年とされた19歳の少女。少女の父親は妻には少女の病態のことを隠していた。病院に勤務する看護師が自分の夫に少女の病態について話した。看護師の夫は少女の母親と顔見知りだった。看護師の夫は少女の母親に秘密を洩らした。裁判になった。秘密を洩らされたことにより妻は精神的苦痛を受けたというものである。裁判所は病院側に慰謝料の支払いの判決を出した。病院側は看護師への守秘義務の管理責任義務を怠ったことが指摘された。看護師には刑法上の守秘義務は科されていない。看護師には保健師助産師看護師法下での守秘義務がある。が、刑法ではない。刑法の方が法としてのランクが上である。この裁判は民事だから刑事罰は無い。慰謝料の支払いだけである。ではこの看護師には何の罰もないか。いや病院が損害を受けたのだから減報や懲戒免職はありうる。
これは近所のおばさんの言、「まあねぇ、知り合いの市の職員さんが言うんですよ。あんたんとこの妹さん、肺がんなんだって、大丈夫?・・・私はびっくりしましたよ、初めて聞きましたから。市の職員はそんなことまで知ってるんですね」
チコちゃんじゃないんだから市の職員がそんなことまで知ってちゃいけない。私を含めてすべての医者に言いたい。ぼーと患者の秘密を他人に漏らしてんじゃねえよ。
これはユーイング肉腫の判例と同様、訴訟になってもおかしくない話だ。守秘義務違反により精神的苦痛を受けたと。
何がいけないか。システムが悪い。医療機関が患者の名前と検査結果を市に報告するシステムになっている。例えば子宮がん検診の受診票をみると患者、医療機関、市へ報告、の3枚つづりになっていてそのすべてに、
《個人情報について》
検査結果や撮影されたデーターを検診の判定や治療目的のため医療機関等において利用し、利用目的の達成に必要な範囲内で取り扱います。
と断ってあり、さらに県からの通達でこの個人情報の報告は本人の同意を必要としない、としている。
百歩譲って個人情報保護法をクリア出来ているとしても、刑法上の医師の守秘義務はクリア出来ているのか。以下の3つを検証してみたい。
①個人情報保護法を守っていることは医師の守秘義務を守っていることの十分条件か。
②医師の守秘義務を守っていることは個人情報保護法を守っていることの十分条件か。
③個人情報保護法を守っていることは医師の守秘義務を守っていることの必要十分条件といえるか。
こんな例を考えてみたい。増田明美さんは今年2月湯田ハーフマラソン支援の為に湯田温泉駅に降り立った。私はそれを目撃したのだが、その事実を話しても個人情報を漏らしたことにはならない。しかし、もし彼女が私の診療所を受診した場合、受診した事実を私が洩らしたら守秘義務違反となる。彼女に関するデーターの何も洩らさなくても、私の診療所(産婦人科医療機関)を受診したということを話せば守秘義務違反である。受付をして私の診察室に入ってきたときすでに患者・医師間の診療契約は結ばれている。その診療契約の中に守秘義務も含まれる。個人情報保護法をクリアしていても刑法上の医師の守秘義務をクリア出来ていない例はある。
逆に医師の守秘義務を厳守している状態で個人情報保護法を犯している事例は考えられるだろうか。色々吟味してみたがそんな事例は考えつかない。医師の守秘義務を厳守していれば十分に患者の個人情報は保護されている。
②の医師の守秘義務を守っていることは個人情報保護法を守っていることの十分条件であるという文章は正しい。①、③は間違い。
まとめると医師の守秘義務を守っていることは個人情報保護法を守っていることの十分条件である。これは十分条件であって必要十分条件ではない。つまり守秘義務を守っていることと個人情報保護法守っていることは同値ではない。
同値ではないと言う事の意味を考えてみたい。では必要条件、十分条件、必要十分条件について説明する。高校生への数学の講義みたいだけど少しお付き合い下さい。まず必要十分条件。これを同値と言った。例えば2等角三角形と2等辺三角形は言葉は違うが同じものを表している。2等角三角形であることは2等辺三角形であることの必要十分条件である。同値である。
これと異なり、個人情報保護法守っていることと守秘義務を守っていることは同値ではない。ところがこれを同値だと錯覚している。そこが問題なのだ。
次に十分条件の例を示す。日本人であることは人間であることの十分条件である。私は日本猿でもないし日本脳炎ウイルスでもない。私は人間である。そして私は日本人である。人間であることは日本人であることの必要条件である。日本人であることは人間であることの十分条件である。日本人であることが証明できていれば人間であることを証明する必要は無い。
刑法上の守秘義務を守っていることは個人情報保護法を守っていることの十分条件である。ならば刑法上の守秘義務を守っていれば個人情報保護法を守っているかどうか吟味する必要が無い。これが医者に対し個人情報保護法を守っているかを問うことは意味がないという理由である。むしろ個人情報保護法を守っているか否かに気をとられて刑法上の守秘義務を忘れる事の方が怖い。
個人情報保護法という新しい法律ができ、この法に対して厚生労働省はこれこれの条件では個人情報保護法をクリアしていると言う。個人情報保護法をクリアしているのだから、がん検診の市への報告は本人の同意を得ずに行っていいという理論だ。ここには刑法上の医師の守秘義務がクリアできているかどうかの論議がすっぽり抜け落ちている。これをヒットラー・フロイトの定理と言う。か、どうか知らないよ。しかし権威ある人間や組織が自信をもってこれこれは正しい、これこれはしていい。と言えばそのままそれを信じてしまう。そのことが真が偽かを検証する論議もなくて大衆の中にそれは起こる。医師もそう信じ込んでいる。個人情報保護法をクリアしていることが医師の守秘義務が阻却されたことになるとは誰も言ってない。厚生労働省も医師の守秘義務が阻却されたなどとは一言も言ってない。しかし空気がそれを起こす。厚生労働省はそんなこと一言も言ってないのだから、患者の秘密が漏れたとしてもそれは厚生労働省の責任ではない。空気に躍らされた医師の責任である。
医師の守秘義務は絶対なのである。いや、絶対と言えない場合もある。イギリス人女性リンゼイさんを殺害し逃亡していた市橋容疑者は顔の整形の為に受診した美容整形外科医の通報により逮捕となった。このように守秘義務より通報義務が優先される場合はある。覚せい剤使用、銃や刀の傷の治療にあたった場合もしかり。また裁判所命令でカルテ押収の場合は医師の守秘義務を越える。この場合、カルテの秘密保持の責任は裁判所にある。しかしカルテが医師の手元にある間は、医師は絶対に患者の秘密を守らなくてはならない。カルテの内容が市の職員に知られるような事はアメリカでは考えられないだろう。中国は別だ。あの国に人権は無い。日本はどうすればいいか。統計をとるのが目的ならSTD定点と同じように患者の名前は伏せて報告すればいい。子宮がん検診ならASC―USが何例、SCCが何例という報告でよい。そして5年生存率など大事な統計は癌の手術を行っている医療機関の医師がやらなくてはならない。
令和2年8月山口県医師会報「緑陰随筆」に掲載