□ Ⅰ、看護師内診の法構造(P.3-10)
□ Ⅱ、院内助産所の法構造(P.11-15)
□ Ⅲ、自律的助産師(アドバンス助産師)養成講座(P.16-17)
□ Ⅳ、思考実験(P.18-20)
□ 永遠の昨日なるもの(P.21)
診療放射線技師法
昨年、自衛隊・警察・医師・歯科医師の4団体による大規模災害時大量死体が出た事を想定した訓練に参加した。山口県警察学校体育館に本部を置き訓練は始まった。警察に自衛隊からどこどこで死体が出たという無線が入る。自衛隊のトラックで等身大の遺体に見立てた人形が搬送される。まず医師が死亡の確認を行う。遺体に見立てた等身大の人形の足に例えば「山、湯田、18番」という番号札が取り付けられる。その後、体育館内の各所で身元確認作業に入る。指紋採取はプリズムを使い画像をパソコンに取り込み電子情報にして即座に携帯電話で警察本部に転送する。本部に「山、湯田、18番」のデーターが記録される。歯型もポータブルのレントゲンで撮った電子画像を瞬時に携帯で警察本部に転送する。このポータブルレントゲン撮影係りの警察官と話をした。この時の為に放射線技師の資格を取りにいったのだという。この場合扱うのは死体であるから、臨床放射線技師までの資格ではなく、「臨床」が付かない通常の放射線技師の資格であればいい。警察はここまで法を厳守している。これが生体であれば臨床放射線技師の資格が要ることになる。警察は年に1度の訓練、いや何十年に1度起きるかもしれない災害時の時の為にその係りの警察官に放射線技師の資格を取らせている。では一般の歯科医院は毎日の診療でどうしているだろうか。懇意にしている歯科医師のところへ診療を受けに行くと歯科医の診察後、看護師(歯科衛生士か歯科助手かもしれない)が私をレントゲン室に連れて行きレントゲンを撮る。その間歯科医師は別の患者の診察をしている。別の歯科医院へ行っても同じ光景だ。警察と大きな違いである。
法を調べてみよう。
診療放射線技師法第24条: 医師、歯科医師又は診療放射線技師でなければ、第2条第2項に規定する業をしてはならない。第2条第2: この法律で「診療放射線技師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、医師又は歯科医師の指示の下に、放射線を人体に対して照射することを業とする者をいう。
つまり、法は診療放射線技師・医師・歯科医師でなければ人体に放射線を照射してはならないと規定している。診療放射線技師を雇っていない医療機関では医師又は歯科医師自身がレントゲンを撮らなくてはならない。多くの歯科医は法に鈍感になっているのだ。これは誰でもやっている事だろう。懇意にしている歯科医には自分でレントゲン撮らなきゃ違法なんだよと言ってあげようと思っているがまだ言ってない。以前、内科医があの内科では看護師にレントゲンを撮らせているといって摘発されたことがあった。これは実際に違法なんだから摘発されてもしょうがない。でも内科医自身は違法という感覚はなかったのだ。それを摘発されるなんて何かよほどの恨みでも買っていたのだろう。政治家の失脚なんてみんなこのようなもんだ。自分では違法な事などしていないと思っている。違法な事をしているという自覚があるならバレないように用心しているだろう。無防備だからマスコミに暴かれ叩かれ、その後、法をよくよく吟味してみると違法だったと。脇があまいのだと言われてもあとの祭りである。 医師が法に鈍感になっているこんな例もある。お世話になっている泌尿器科の先生がいる。私より年配だからかなりの経験者である。ある日この方と飲んでいて母体保護法の話になった。その中の避妊手術のことである。男性の避妊手術でも母体保護法下で行わなければならない。その事自体ご存知無かった。保健所への報告義務が有ることがこの法の中にあることも初めて知ったという。かなりの数の不妊手術をして来られただろうけど1度も報告してなかったのだ。産婦人科医以外の人が母体保護法に目を通すことなどまずないと言っていい。いや産婦人科医だって3度目の帝王切開時に不妊手術も一緒にやって置きますかとして手術して報告を忘れることはままあるだろう。妻と夫から不妊手術の同意書を取る事は忘れることは無いだろうけど、保健所への報告は忘れがちである。この泌尿器科の先生には妻の不妊手術より夫にして貰う方が手間も経費もかからないからと何人もお願いしたものだ。手術を受けた人は実名で国に登録される。手術を受けた人が結婚する際には相手にこの手術を受けたことを伝えなくてはならない。これも法に定めてある。
母体保護法第25条: 医師又は指定医師は、第三条第一項又は第十四条第一項の規定によつて不妊妊手術又は人工妊娠中絶を行つた場合は、その月中の手術の結果を取りまとめて翌月十日までに、理由を記して、都道府県知事に届け出なければならない。 母体保護法第26条: 不妊手術を受けた者は、婚姻しようとするときは、その相手方に対して、不妊手術を受けた旨を通知しなければならない。
ここでは法に鈍感になってしまうことがままあるという例を示してみた。悪意ある人がこれを知れば何時足を引っ張るかしれないのだ。厳然たる法がここにあるのである。法を知り、用心し、脇を固めなければいけないのは政治家だけでなく医師もそうなのである。今までこのことで起訴された例は聞いたことはないけど何時起こるかもしれない。 前置きが長くなったが、ここから本題に入る。本題は看護師内診事件である。産婦人科医の脇があまく看護師内診が違法だと思わず看護師にこれをやらせた産婦人科医が摘発された。日本中のすべての人間がそう産婦人科医の脇があまかったのだと思った。摘発されてもしょうがないあれは違法だったのだと。 法は助産師・医師でなければ助産業を行ってはならないとしている(ここは後で触れる)。内診というのはどういうものか。これは診察者が自分の指を患者の膣内に挿入し、婦人科領域では子宮卵巣その他の情報を得る。産科領域では子宮口の開大児頭の下降度をみて分娩の進行の状態を把握する。医師が看護師に命じて内診を行わせたのはこの法に違反する。行った看護師も違反者であり、これを命じた医師も違反者であるとなった。
今から1/8世紀前、この看護師内診問題が表面化した。小泉政権時代、女性(助産師)の法務大臣のときだ。ある医療機関が看護師に内診をさせていた。看護師に助産師の業をさせたのが違法だとされた。院長は警察に逮捕された。検察は起訴を見送る代償として閉院を迫った。病院は閉鎖された。当時話題になったあの堀病院事件である。その他多くの産婦人科医が同様の罪で起訴、書類送検された。またこれはある地方の国立病院での出来事。産科医は2人いた。医師達は自宅待機でお産がある時は呼ばれて出産を取り扱っていた。2日に1回の当番である。
ある日、他科の診療科目の院長はお産での入院の場合も医師に出て行って診察するように命じた。助産師が足りなかったのだ。夜中の入院、医師が診て入院の指示を出すのは当たり前だと院長は考えた。外科、内科の夜中の入院ではそうであろう。国立病院の院長は厚生労働省の方針には逆らえない。この院長命令はしかたなかった。しかし産科医としてはお産となったとき夜中に呼ばれて行くのはいいとして、陣痛発来まで一々夜中に出かけて診察しなくてはならないのはたまらない。お産が近そうなのは前日の妊婦検診時に言ってあるではないか。ここの産婦人科は分娩の取り扱いを止めた。この地域で1つしかない出産場所であった。国立病院でさえこんな状態なのだ。いわんや個人開業産科医をや。 日本中の分娩施設はどんどんなくなっていった。特に地方はお産難民を生んだ。 産科危機が叫ばれた。その後、助産師学校はまるで雨後の筍のごとく日本国中に創立されたのである。
堀病院無罪論
堀病院は保健師助産師看護師法違反で告発された。だが「助産師・医師でなければ助産業を行ってはならない」という法文は日本のどこにも存在しない。ここが大事である。こんな法文は無いのだ。 告発された保健師助産師看護師法とはいかなるものか。どこで間違いが生じたのか検証してみる。 保健師助産師看護師法とは保健師法、助産師法、看護師法の3つを合わせたものである。今回問題になるのはこの3つのうちの助産師法である。3つのうちの助産師法を取り上げる。 厚生労働省は、2002年11月14日付け都道府県への通知の中で、内診が医師や助産師しかできない助産行為に含まれると定義し、さらに2004年9月13日付け厚生労働省医政局看護課長通知でも、医師の指示があっても看護師は内診をしてはならないとの見解を示した。この通知を前提にすれば、看護師らによる内診が保助看法30条に違反する無資格助産に該当することになる。 助産師法のキーとなるのがこの保助看法30条である。
保助看法30条: 助産師でない者は、第三条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法(昭和二十三年法律第二百一号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。 保助看法3条: この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じよく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。
これは平たく言い換えれば「助産師でなければ助産業をしてはならない。ただし医師法下ではその限りではない」ということである。 ここには「医師、助産師でなければ助産業をしてはならない」とは書いてない。厚生労働省は「助産師でなければ助産業をしてはならない。ただし医師法下ではその限りではない」と「医師、助産師でなければ助産業をしてはならない」とを同義語だと思ってしまった。ここが間違いの発端である。 ① 「助産師でなければ助産業をしてはならない。ただし医師法下ではその限りではない」と ② 「医師、助産師でなければ助産業をしてはならない」 とは大違いである。月とスッポン、天と地、ナマズと鯨くらいの違いがある。 臨床放射線技師法では「医師、歯科医師、臨床放射線技師でなければ人体に放射線を当ててはならない」と書いてある。だから看護師にこれをやらせることは違法である。 だが、「医師法下ではその限りではない」という表現はその前の文章を打ち消している。医師が正常分娩を取り扱うことができるのは助産師免許を持っているからではない。助産師学校を出ているからではない。医師は医師法下にあればこの助産師法を無視できる存在なのである。医師が医師法下にありながら助産師法違反で起訴されるなどということは法理論上ありえないのだ。
人体に放射線を当てる場合は医師であろうと、臨床放射線技師法下でおこなう。対して医師が分娩を扱うのは助産師法下で行うのではない。医師は助産師法の外、医師法下で分娩を取り扱う。医師法下で行われる分娩に助産師法は存在しない。 では医師が助産師法違反とされる状況はあるか。こういう状況ならあり得るだろう。医師が自分の医療機関外の場所に助産所を開設する。助産所の開設者は助産師でなくともよい。しかし管理者は助産師でなくてはいけない。そこにその医師の部下である看護師に命じその場所で助産業をさせた。これなら看護師もこの医師も保助看法違反の罪に問われる。だが堀病院は医療機関なのだ。医療機関内で行われたいかなる助産師法違反も罪に問われることはない。
厚生労働省は内診を助産行為の一部と定義した。これは認めよう。その助産行為を看護師が医師の命令下で行った。この行為は医師法下にある。医師法下にある限り助産師法違反は成立しない。医療は医師による医療行為と看護師による医療の補助で成り立っている。医療の補助も医療の1部である。医療の補助も医師法下で行われるものである。医師法が存在しないとこに医療の補助はない。これは助産師法下で行われる助産が医師法下にないと言う事を考えればよく分かる。ここは医師法下にない為、医療の補助もあり得ない。
では大きく医師法と助産師法に目を向けて考えてみよう。 ① 医師法が通じない場所が日本国内にあるか。 ② 助産師法が通じない場所が日本国内にあるか。 以上2つの命題について論じてみたい。 まず医師法が通じない場所が日本国内にあるか。 ある。それは大使館内、米軍基地内である。米軍基地内の病院で日本の医師法は通じない。医師でないものに医療行為をさせたとしても日本の医師法違反は通じない。アメリカの医師免許を持っていればいい。アメリカの医師免許を持っていなくてもそれはアメリカの法で裁くことなのである。日本の医師法違反は効力を有しない。逆にアメリカ人であっても日本の医療機関で医療を受ける場合は日本の法に従わなくてはいけない。アメリカの女性が人工妊娠中絶に来る。米軍病院は中絶はしない。お産や各疾患は無料で診療を受ける事が出来るが中絶に関しては自己責任でやれということである。本国に帰るか日本の医療施設で施行するか。この件で米軍病院からときどき依頼が来る。そのとき彼女に話す。ボーイフレンドであっても同棲している状態なら彼のサインが要ると説明する。すると彼女は”Why?“と言う。”Why?“という彼女の気持ちも分からないではない。アメリカの法を調べてみた。州によって多少違うが、アメリカの法律では結婚していても中絶するかしないかの決定権は女性にある。夫の同意は必要ないのだ。妊娠を前期、中期、後期に分けて妊娠前期は妻の決断だけで中絶できる。妊娠後期は胎児の生きる権利が優先する。この時期の中絶は殺人罪が適用される。妊娠中期は胎児の生きる権利と女性の自己決定権のせめぎ合いとなる。この時期は裁判所の介入が必要となる。日本国内で中絶する場合、アメリカの女性だから夫の同意書なしで中絶してもいいという訳にはいかないのだ。これをやると母体保護法を満足してない中絶となり日本の刑法上の堕胎罪がその女性およびそれを行った産婦人科医に科せられる。
イスラム法により断食する。ユダヤ法により割礼を行う。これは日本国内で行ってもかまわない。日本にそれを禁止する法が無いからである。だが中絶はそういう訳にはいかない。だがもし夫がイラクに戦争に行ってて連絡がとれないという状況にあるなら妻の同意だけで手術を行っていい。
母体保護法14条2: 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。
という日本の法律があるからである。 場所によって法が通じる通じないことがあるという例を示してみた。 では2つ目の助産師法が通じない場所が日本国内にあるか。 について考えてみたい。通じない場所はある。大使館米軍基地などもそうだかもう1つ助産師法が通じない場所がある。それは日本の医療機関内である。医療機関内では「助産師でなければ助産業をしてはならない」という法が通用しない。医師が助産師免許もないのに分娩を扱っていいという根拠は医療機関内では「助産師でなければ助産業をしてはならない」という法の制限を受けないからである。だから医師が分娩を扱っても違法ではない。ということは医療機関内には助産師法は存在しないと言ってよい。医療機関内では助産師法を通用させないという法構造を持つことによって医師が分娩を扱う事が可能になっている。米軍病院内でその行為は医師法違反だと言っても通じないと同様、日本の病院内でその行為は助産師法違反だと言っても通じない。日本の病院内にあるのも拘わらずその行為は助産師法違反だというのは理論破綻している。繰り返して言うが医療機関内では「助産師でなければ助産業をしてはならない」という法が成立しない。
医療機関内でその行為は助産師法違反だといのは米軍基地内でその行為は日本の医師法違反だというのと同じだ。ここは日本の医師法が通用しない場所なのである。同様に日本の医療機関内では「助産師でなければ助産業をしてはならない」という法が通用しない。ここは助産師法が通用しない場所なのである。
いや、医療機関であっても日本国内なのだ。助産師法は通用する。助産師法違反は成立する。と考える方もいらっしゃるだろう。 ある場所を助産師法が作動しない場所と規定したとき(その場所は医療機関内であるが)その場所で助産師法が作動するとするのは理論破綻している。
これは数学の全集合、部分集合、補集合の関係なのである。神は存在するか存在しないかという大問題。これを全集合とする。神は存在するというのはその中の部分集合である。そして神は存在しないというのはその補集合である。ある場所を神が存在しない場所だと定めておいて、そこに神が存在すると言うのは理論破綻している。医療機関内を助産師法が通じない場所だと定めておいてその場所でこれは助産師法違反だと言うのは理論破綻している。 堀病院が助産師法違反をしたという罪は成立しない。 ――堀病院は無罪―― これは私のオピニオン(opinion)ではない判決(decision)である。同様の罪で起訴された産婦人科医全員無罪である。 法の精神を読みとらなくてはいけない。 「~~である。ただし、医師法下においてはこの限りではない」という法律の文章は“ただし”の前の“~~である”という文章を打ち消している。この「医師法下のおいてはこの限りではない」という記載の意味するところは「あなたに医師免許を与えます。医師法下においてはこの限りではないという記述が付いている法に関してはあなたの自由にしていい。あなたはこの法に制限されることはない。あなたの身近にある何ものも利用することは許される(例:看護師)。それだけの裁量権を与えるからこの国の民の為に自分の力量を最大限に発揮して下さい。というこの法の精神を読み取らなくてはならない。だからこの「医師法下のおいてはこの限りではない」という文章が付いてない法に関しては、例えば人体に放射線を当てるという作業については医師、歯科医師の本人が放射線を当てるか、それだけの資格を持った技師にそれをさせなければいけない。 と、この2つの法文を峻別している。 ここに高貴な法の精神があったのだ。 が、厚生労働省と時の法務大臣とがこの法の精神を踏みにじってしまった。
今回、ひょんなことから院内助産所について調査考察する機会を得た。 調べてみると奇妙な事が色々でてきた。まず院内助産所の定義がされていないことが解った。 医師法内にも保健師助産師法内にも医療法内にもその用語はない。 確かに厚生労働省はこの用語を使っている。しかし厚生労働省もその定義を示していない。世間一般的な解釈は医療施設内(病院内、医院内)において助産師が助産業を行うことが出来る場所という事であろう。 はたして院内助産所は助産所なのか助産所ではないのか。地元の保健所に聞いてみた。具体的に質問してみたのだ。私が私の診療所内に院内助産所を設立しようとしたらどんな手続きを取ればいいのでしょうか。この保健所管内に院内助産所がなかった為即には分からなかった。厚生労働省に問い合わせて翌日回答してくれた。何の手続きも必要ない。ただ今日からここに院内助産所ができました。と発表すればいい。助産所の認可を受けなくていいんですかと聞くと、そこは助産所ではない、医療機関である。そしてそこで働く助産師は医療の補助をする看護師という解釈なのだという。これは通常の産科医療機関と法的に同じだ。厚生労働省のホームページから院内助産所の説明をみると 2ページ目に小さく、院内助産所は、※医療法第2条でいう助産所には該当しない。と書いてある。 これはキャビアと書いた缶詰を売りながら箱の後ろに小さく「この商品はチョウザメの卵ではありません」と書いておくようなものではないか。これは虚偽表示である。 医療法3条には
第3条: 疾病の治療(助産を含む。)をなす場所であつて、病院又は診療所でないものは、これに病院、病院分院、産院、療養所、診療所、診察所、医院その他病院又は診療所に紛らわしい名称を附けてはならない。
と明記してあるため助産所でない場所に何々助産所という名称をつけること自体が違法である。 医師がいない場所で助産師がお産を取り上げ、助産師の名で出生届けを出す。しかしここは助産所の認可を受けていない。それは通るのか。
話を分かりやすくするため離れ小島をモデルとして考えてみる。 離れ小島で妻のお産を夫が取り上げた。これに違法性はない。隣りのおばあさんが取り上げても同様に違法性はない。
だがこのおばあさんがこの島で赤ん坊を取り上げるときはこれこれの報酬でやってあげると宣言してこれを職業としたら違法である。これは業として行うのであるから助産師免許がいるし、助産所開業には保健所の認可がいる。もしおばあさんが助産師の免許を持っていたとしても助産所開業の保健所の認可を得ていなければ違法である。助産師であるおばあさんが本土で助産所を開業していて、島でお産があるときやってきて取り上げるのは合法である。中絶手術の場合はそうはいかない。夫がこれを行えば犯罪である。現在外科的技術を持っていなくとも経口剤や膣座薬で中絶を行うことができる。ネットで海外から入手することは可能なのだ。だがこれは刑法上の堕胎罪にあたる。離れ小島であろうと日本の法の下にある。 本土で開業している母体保護法指定医が島に来てこれを行うのもいけない。母体保護法指定医は本人への認可とそれを行う場所への認可がいる。認可された場所以外の所でこれを行うことはできない。 ここには場の理論が働いている。といっても量子力学のことではありませんぞ。ある業を行うには場所の認可を受けていなければならない。主婦が家族に食事を作るのはいい。友人をまねいて食事をふるまうのもいい。しかし、自宅でお金を取って客に食事を出すには調理師の免許を持ち保健所から調理場の認可を受けていなくてはならない。場や本人の資格のいらない業もある。家庭教師がその例である。勉強のできる大学生が中学生や高校生に教えて報酬を受け取る。正当な業である。希望する学校に入学させたらたっぷりお礼をもらえるだろう。これをやるのに場の認可を受ける必要はない。結局人体に直接影響を与える業にはその場に対する保険所の認可が要るのということになる。理髪業、医業、助産業、しかり。
助産師が産婦の自宅に出張してお産を取り上げる。これは法的に許されている。院内助産所はそれと同様と考えればいいか。いいえ、違う。そうした自宅分娩の場合でも助産師は自分の開業する助産所で開業の認可を得ていなければならない。院内助産所の助産師は、自分の所属する助産所がない。 これは医師にも同様なことが言える。以前、保健所の所長が自分でインフルエンザワクチンを購入し、自分の子と妻に注射したとして摘発された記事が載っていた。自分が医業を行う場所を持っていなかった。これは往診とは認められない。
院内助産所で取り扱われた分娩は医師法下にあり助産師が出生証明書を作成することは出来ない。助産師法下で取り扱われた分娩にしか助産師は出生証明書を書くことが出来ない。では医師名で出生証明書を発行すればいいか。それも出来ない。
医師法第20条: 医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。
に抵触する。
現行の院内助産所では医師、助産師のどちらで出生証明書を作成しても違法なのだ。というか、医師のいない場所で助産師単独で助産を扱うこと自体が違法である。これらを合法とするには院内助産所が助産所の認可を受けていなくてはならない。現在の院内助産所では医師不在の助産師のみの分娩は法的に出来ない。 法的にできないはずなのに医療機関で生まれた児の出生届け助産師名で書かれて受け付けられているのはなぜか。助産所の認可を出すのは保健所だが、出生届けが受け付けられるのは市役所である。保健所が出生届けの不整備をチェックすることがないからである。助産所の認可を与えていない場所から助産師が出生届けを出す。市役所側も助産師名で書かれたものは法的に正しいと思い込んでいる。人工妊娠中絶の報告書と比べてみる。これは毎月まとめて保健所に出される。具体的には県の母体保護法指定医審査検討委員会の基に設置された県医師会事務の係りの者へ県内の人工妊娠中絶の報告書が集められる。ここで書類に不備がないかまずチェクされる。私なんか係りの事務局の女性から妊娠週数や患者の年齢など書き忘れてよく叱られている。これだけ厳しくチェックしてくれているから安心と言えば安心だ。母体保護法指定医資格を失った者から出された書類など通るはずがない。こうしてチェック済みの報告書をまとめて保健所に提出している。保健所も母体保護法指定医かつ母体保護法指定場所のチェックができる。
これを出生届けに置き換えてみると、出生届けを受け取る市の職員は出生証明書の不備など、たとえば助産院の認可を受けている助産師が書いた出生証明書なのかということのチェックはできない。こうして助産所の認可を与えていない場所で助産師が扱った法的な矛盾を包括する助産の助産師名で書かれた出生証明書がまかり通っている。 医療機関でつまり助産所の認可を受けていない場所で出生した児の出生届けは医師の名で書かれているのか助産師の名で書かれているのか調べてみた。厚生労働省のホームページ、人口動態調査にあるからネットで簡単に調べられる。平成26年度の出生の場所、立会者をみてみると、全国の病院で医師名で出生証明書が出されたのが、497,398例、助産師名で出されたのは、38,811例。診療所で医師名で出生証明書が出されたのが、953,338例、助産師名で出されたのは、49,844 例。助産所で医師名で出生証明書が出されたのが、1,144例、助産師名で出されたのは、38,881例であった。助産所で生まれたのだが医師名で出生証明書が書かれているのは医師が助産所に呼び出された例なのだろう。医師と助産師の両者が出産に立ち会った場合、医師名で出すことになっている。医療機関内で生まれたのに助産師名で出されているということは医師は立ち会っていないことになる。医療機関内でこれだけの数の分娩が助産師のみで取り扱われたと言う事だ。繰り返すが助産所の認可を受けていない場所で助産師が助産業を行うことは法的に不可なのだ。これも法に鈍感になっている証拠だ。内科に置き換えてみれば、内科医は医局に居て、外来には看護師が居て風邪くらいは看護師が診て、看護師が薬を出す。難しい病気は内科医が出て行く、というのと同じだ。内科医、内科の看護師はここまで法に鈍感になっていないだろう。 こうした誤謬はどこから生じたのだろうか。院内助産所は医師法下になく助産師法下にあると錯覚した事によるものだ。一般大衆のみでなく、当該助産師、医師もそう錯覚した。そう錯覚させた責任は厚生労働省にある。院内助産所という欺瞞的な用語を使いこの場所は医師法下にないと印象付けた。しかし現実には助産所としての保健所の認可を受けていなかった。 「看護師内診は違法ではない」と「院内助産所は違法である」とはコインの裏と表の関係だ。「看護師内診は違法ではない」が証明できれば「院内助産所は違法である」の証明になる。医師法下では助産師法は無効である。このことが分かれば以下の命題が立証される。
「看護師内診は違法ではない」 助産師法が通用しない場所で助産師法違反は成り立たない。 「院内助産所は違法である」 助産所の認可を受けていない場所で助産師法下の助産業を行った。
10年以上前の看護師内診問題や院内助産所のことを今になって何故蒸し返すのかと思われるかもしれません。それには理由があります。 某国立大学で「院内助産リーダー養成コース」という講座が始まろうとしていることへの懸念が湧くからです。 「院内助産リーダー養成コース」とは院内助産所のリーダーを養成する為に助産師として病院勤務している助産師を大学の産婦人科医局が更にあと半年か1年教育しリーダー助産師として世に送る。彼女らは院内助産所の中心となって院内助産所を運営して行く。学費は無料、県が運営費を全額出す。助産師を講座に送り込んだ医療機関にも補助金を出す。税金が使われる訳です。 この講座の指令が厚生労働省から出たという確証は未だ取れていませんが、厚生労働省が後ろ盾になっていることは誰の目にも明らかです。講座はすでに今年の10月1日からスタートする予定になっています。 助産師になるのに4年、追加すること1年の学習で計5年の学校に行く計算になる。6年学校に行った医者とほぼ近い学歴を持つ。正常分娩だけを扱う准医師という自覚を持つ。実際にこの講座のカリキュラムをみると正常分娩における医師の業務、つまり会陰切開、局所麻酔、縫合等の実習教科が盛り込まれています。厚生労働省はお産は集約して彼女達に任せればいいという考えです。このリーダー助産師に指揮をとらせ、50~120人程度の助産師で運営される院内助産所を増やして行く。院内助産所だけでも違法なのにそれ以上のマンモス院内助産所を計画し、その指揮もそれだけの訓練した助産師に取らせる。助産所の認可を受けていない場所で助産師が助産業を行う事例が急増することになる。これはもう法に鈍感というより法に対する知覚麻痺といってよい。日本中、早く目を覚まさなくてはいけない。麻酔から覚醒しなくてはならない。 目的は産科難民を救う為、産科医不足を補う為だという。産科医療をこんな状態にしたのは厚生労働省でしょう。それを院内助産所を増やすことで解決しようとするのは本末転倒ではないか。
2007年3月3日厚生労働省は医政局長通知で保助看法問題解決という通知を出した。この中に「看護師は助産師の指示監督の下、助産の補助を行う」という一文がある。こんな法文は日本のどんな法からも導き出せない。 この助産師が開業助産師ならここは医療機関ではないからこの助産師の下で看護師は助産業の補助をすることなど不可能である。看護師の業務にそんなものはない。看護師ができるのは療養上の世話と診療の補助だけである。 この助産師が医療機関内で働く助産師ならここでは助産師は法的には看護師である。他の看護師の監督指示などできる立場ではない。 助産師の資格を取った後、更に1年学校へ行って自律的リーダー助産師になっても法的には4年学校に行った通常の助産師と変わりはない。更に医療機関内においては法的には3年学校に行った看護師とも変わりはない。 (院内助産所の助産師が行っているのは助産師法下の助産ではなくて医師法下の医療の補助なのである。助産師は医療機関内では看護師なのだ。そして大事なのは、助産師が助産師法下で行う助産行為よりも助産師が法的には看護師となって、医師の指示の下で行う医療の補助の方が数倍も数十倍も高度な技量を要するという事実である) 自分は5年学校に行った小医師だと思い込んでいたところで現実の法構造は3年学校に行った看護師と同一だと知ったとき悲劇が起きる。 アイソーポスという寓話作家の作品に「ロバとペットの犬」というのがある。 ロバは食べ物を十分にもらい生活に不満はなかったのです。でも主人のお気に入りの犬が主人の皿から好きな食べ物を分けてもらったり、膝の上でじゃれて主人の顔や手を舐めたりする光景をとてもうらやましく思っていました。ある日の夕食時、ロバは主人のひざの上に乗り主人の顔を舐めようとしました。主人の座っていた椅子はひっくり返り、ロバと主人はテーブルから落ちて来た皿の山の上に転がってしまいました。ロバはしこたま殴られて小屋に追いやられていきました。
県が産科医療復活に力を入れる。その方法は院内助産所開設の増設。 院内助産所の謳い文句はここは医師は立ち会わない助産師主導の分娩施設である。この場所は医師法下になく医師の管理下に置かれていないため全体の雰囲気はやわらかく快適で、しかも医療施設の敷地内にあるため異常が起こったときは直ちに医療が受けられ安心だという利点がある。つまり医師がいるという利点と医師が不在という利点の2つの良いとこ取りだ。 しかしこれは法的に問題がある。ここは医師法下なのだ。では合法的に院内助産所を推進して行く方法はあるか、考えてみたい。 その前に1つ練習問題: 私の診療所は病床は11床、医師は私1人、助産師は5人、看護師は7人いると仮定する。海外の学会に行く事にした。代診の医師は置かない。正常分娩は私が訓練した助産師が行えばいい。近くの総合病院の産科医長には留守の間の異常が起こった時の引き受けについてはよく頼んでおいた。日ごろから世話になっているのだ。留守の間にお産になりそうな患者さんには説明して納得して貰った。それで構わないと言う了承を得ている。心情的には私が立ち会えなくて患者さんに申し訳ないのだが、法的には問題ない。助産師が行うのだから。 これは正解か? ブッブー!不正解です。これは法的に問題があるのだ。何故か。もうお分かりですね、私のところは保健所から助産所の認可を受けていない。これは違法である。
院内助産所推進の話に戻る。そこで県が進める院内助産所を合法的に行うにはこの院内助産所を保健所から本物の助産所として認可しておけばいいということになる。 ここから思考実験に入る。 院内助産所で可能な法構成は以下の3つになる。 ① 院内助産所は医師法下にあり、助産師法下にない。 ② 院内助産所は医師法下になく、助産師法下にある。 ③ 院内助産所は医師法下にあると同時に助産師法下にある。
① は現状のものです。医師を除いて助産師のみで分娩を扱おうとすると先ほど述べたような法的不都合が起きる。 ② は病院の敷地内でなく、病院に隣接する場所に院内助産所と称するものを作り、そこを助産所として保健所から認可を受けることで可能である。これなら助産師法下にある。病院内にあっても、医師法下にない場所を設置してしまえばそれで同等でしょう。これは開業助産所と同等ですから、この助産所の開設者と管理者である助産師を置かなければならない。この管理者の助産師がこの助産所の最高責任者となる。医療事故調査委員会への届けもこの助産師が行わなければならない。更に助産所の入居者は1度に10人を超えてはならないという法規制がある。これは個人産科開業医有床診療所のベット数が19床までに比べるとその半数です。院内助産所で50~120人もの助産師を抱えてこの分娩数では採算が合わないでしょう。また、そんな責任の重い管理職を引き受けてくれる助産師が居るかどうか。 ③ は医師法下にある医療機関内の1部を保健所から助産師法下にある助産所としての2重の認可を受ける。保健所がこんな認可をするかどうか分かりませんが、もしその認可が受けられればこの場所は医師法と助産師法の2つの法の下にあるとなる。ただ2つの法が競合した場合、どちらかの法を優先するかという判断に迫られます。この場合、医師法が助産師法に優先する。 保健師助産師看護師法第30条: 助産師でない者は、第3条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。 この法文は「助産師でなければ助産業をしてはならない」というものですが、医師法下では前段の「助産師でなければ助産業をしてはならない」という文章が打ち消される。この一文があるから我々医師は助産師免許を取得していなくても助産行為が可能なのですが。助産師法と医師法が混在する場所では医師法が優先されるという証拠です。 もっと簡単に言うと、 医師法と助産師法が混在する場所において、ある行為が医師法下では許される、助産師法下では許されないとなる場合、その行為は許される。また別のある行為が医師法下では許されない、助産師法下では許されるとされた場合、その行為は許されない。つまりこの混在場所では助産師法はあってもなくてもいいのです。医師法下では助産師法は存在理由がない。
では、助産師法と医師法が混在するという場面が過去にあったことがあるだろうか。あります。こんな場面です。開業助産師の助産所に医師が呼ばれた。医師が到着するまではここは助産師法下です。医師が到着した瞬間ここは助産師法下と医師法下の2つの法の下にある。2つの法の下にあったとしてもすでにここでは助産師法はその効力を失っている。2つの法の下にあっても医師法1つの下にあるのと同じことなのである。院内助産所を医師法下と助産師法下に同時にあると設定したら、その場所で医師法を犯す行為は出来ない。結局③は①と同じことです。 3つの形式、何れもうまくいかない。③は同時期に2つの法の下にあるとしたことでうまくいかなかった。では時間差をもって、ある時期は②の形式をとりある時期は①や③の形式にすることは可能だろうか。ある場所を医師法下の医療施設と助産師法下の助産施設の2重の認可を受けておいて、あるときは医師法下にあり、またあるときは医師法下になく助産師法下に置く。これは可能でしょう。こんな例があります。歯科医師が自分の診療所を内科医師に貸す。月、水、金は歯科医師が歯科医療を行って、火、木、土は内科医師にその場所を家賃を貰って貸し出す。この場所は歯科医師法下と医師法下の両方の法の下にある。 2重の認可を受けておいて分娩が正常に進んでいる間はこの場所を助産師法下に置く、その時間帯は医師法下にない。異常が起これば医師法下に切り替える。これは可能です。この場合は助産師が分娩を取り上げ助産師が出生証明書を発行していい。しかし、そこは一切の医療行為は行うことが出来ません。会陰切開、局所麻酔、縫合などは以ての外です。更に分娩室に入ってからの血管確保、これを行った瞬間この場所は医師法下となり助産師法は効力を失い、助産師単独での助産は違法となる。 いまどき血管確保をしないで、出産にのぞむなんてことは考えられない。 医師法下にないことの利点と医師法下にあることの利点を同時に受ける事が出来ると思い込んだのはただの幻想に過ぎなかった。
マックス・ウェーバーはゲーテの「永遠の女性的なるもの」からもじって、「永遠の昨日なるもの」という言葉を作った。これは伝統主義といわれるものである。伝統主義とは伝統的技術に改良を加え、進化し更に良いものにして伝統的芸術の域まで持って行こうというものではない。ここで言う伝統主義とは過去にあったものは過去にあったという事実だけで正しいとする事である。昨日起こったこと、これは正しく永遠にその正しさは変わらない。 先輩官僚が「看護師の内診は違法だ」と言った。後輩官僚はこれを否定してはいけない。この正しさを継続する為に「看護師は助産師の指示監督の下、助産の補助を行う」という声明を出さなくてはならなかった。またその後輩の官僚は先輩達の正しさを継承する為「院内助産所リーダー助産師」の量産に努めなくてはならない。最初が間違っていたと言えないのである。 永遠の昨日なるもの。これ、官僚の性(さが)である。 マックス・ウェーバーはこの伝統主義から抜け出さなくては近代社会は起こらないと喝破した。